臨死体験2

2018年1月20日健康管理・育児

家に帰ったとき、時計の針は一時を回っていた。とりあえず、体力をつけねばと思い、ウィダーを二本飲み、水を少々飲んで床に就いた。

そして3時過ぎ、気持ち悪さに目覚めトイレに走る。そこで、飲んだものをすべて吐き出した。苦しかった。とにかく。苦しかった。倒れるようにベッドに戻り眠る。そして、一時間後再びトイレに駆け込み吐いた。

10時くらいまで何度かそれを繰り返した。やがて、吐ききったことと少々睡眠をとった事で体が楽になったため、コンビニに朝食を買いに行くことにした。これが、非常に厳しい道のりであり、体力を削った。

普段なら5分で行けるコンビニは、遠い砂漠のかなたにあると言われる国、ガンダーラへの道のりに等しかった。

道のりの半分まで来たとき、吐き気をもよおし、引き返そうか悩んだが、気持ち悪さも飲み込んで、ガンダーラへ向かった。

そして、コンビニでウィダーをゲット。ほかの物も探そうとしたが、気持ち悪すぎて、もはやガンダーラにとどまっている事が不可能と悟り家路へ。

戻ったとき、脂汗でびしょびしょだった。吐き気と疲労で、買ったものを出す余裕もなく、意識を失うように眠った。一時間後、目を覚まし、少し買ってきたウィダーを飲んだ。

その瞬間、激痛が走った。動けないほどの痛みだった。11時16分、本当に生命の危険を感じた俺は、119に発信し救急車を呼んだ。

何とか服を着て、玄関に転がって救助を待った。やがて、救急車が来て再びとある大病院に運び込まれた。

昨日と同じ検査に同じ質問が行われ、その間本当に死にそうだった。体を曲げていないと、痛みが全身に走り、脳がマヒする感覚を覚える。

にもかかわらず、CTの台やレントゲンなど、体を無理に伸ばされ、その度に脂汗を出しながらダンゴ虫のように丸くなった。。。

検査後、入院が決定。熱は38度を超えていた。うなされながら苦しんでいると、家族が駆けつけてくれた。その後、熱と痛み止めの相乗効果でもうろうとした状態が続き、記憶がない。

翌日17日朝、熱は39度に達した。と、ここで医者が盲腸と断定。手術が決まった。同意書を書き、激しい痛みを伴う解熱剤を打たれ準備が整った。肩に垂直に打たれる注射は、シャレにならない痛みを伴った。

午後3時過ぎに手術開始。

半身麻酔を打たれ、感覚はなくなった。熱でもうろうとしていたため、手術の最中寝たり起きたりしていた。そして、手術の最中にプチっという音が聞こえ、執刀していた3人の医師が同時に「あっ」という声を上げた。

思わず下を見ようとしたが、何も見えないし、力が入らなかった。結局無事手術は終わり、戻って睡眠。腹の痛みは徐々に治まるといわれた。

翌日はついに、39.5度の最高記録を出した。氷枕がすぐに温かくなる気がした。その後数日間で次第に熱は下がり始めた。と同時に次第に歩けるようになり着実に回復していった。

そして、明日23日に退院だ。絶食、絶飲は5日に及んだ。普段は考えないが、水を飲むことが出来るという事、そして食事を噛みしめ、楽しむことが出来るということが限りなく贅沢な事とわかった。

なんだかんだ言ってこれから先、体調がなによりも重要と確信した。そんな盲腸体験だった。

おわり

PS

退院後、再び大病院を訪問した。

初日に誤診し、俺を帰宅させた医者を出せ!と怒ったが、それはお医者様の個人情報ですので・・・

と狂った事を言って受付が通してくれなかった。

仮に、家で気絶して一人で倒れたら死んでいたかもしれない。

と思うと医者も病院も、ホントに信用できないな、と思った次第でした。


この記事を書いた人
りーぶら
りーぶら30代、都内在住、男性。

大企業に勤務するサラリーマンで、M&Aを手がけたり、世界を飛び回ったりしている。ぬるま湯に浸かって、飼い慣らされているサラリーマンが大嫌い。会社と契約関係にあるプロとしての自覚を持ち、日々ハイパフォーマンスの極みを目指している。歴史を学ぶことは未来を知ること、を掲げてしばしば世界を旅している。最近は独立して生きる力を身に付けるべく、資産運用に精を出している。好きな言葉 「人生の本舞台は常に将来に在り」

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