プノンペンにて

9月17日、毎度都会の喧騒で目覚める旅行も、今日はらしからぬモーニングコール。アメリカンブレックファーストを食べ、シャワーを浴び、最高の目覚め。9時30分に出陣すると、ホテルの前には、トゥクトゥクのオヤジが待っていた。今日も元気そうでこちらまでうれしくなる。

通称S21、小学校刑務所

まずは、S21と呼ばれるポルポト時代の刑務所(小学校)へ。

入り口にてカンボジア恒例の物売りと、物乞いが現れた。毎度毎度でめんどくさいと思いつつ、ふと目を向けたその瞬間、言葉を失った。そこにはゾンビのような人が立っていた。顔が原型をとどめていなかった。直視することが出来ないほどの恐怖だった。何かの病気か、それともやけどか。。。俺はその人から逃げるように、建物の中に入った。

建物は、作りは小学校だったが、中にはコンクリで作った独房や、拷問用のベッドが置かれ、殺された人たちの写真が多く貼ってあった。2万人を越える人たちが、連行されて、生き延びることが出来たのはたったの6人だった。

ポルポトは、毛沢東と同じ、原始共産主義による農業立国の考えを持ち、都市から完全に人を排除して、農村へ送り込んだ。貨幣を廃止し、宗教を禁止、私財没収、近代科学を否定して、カンボジア全土の人口の三分の一である、300万人の人間を殺した。常軌を逸するこの行動を、当時他国では信じられなかった。そもそも国民を三分の一殺して、利益があるなんて普通誰も考えない。しかし、ポルポトは違った。

S21の建物の中は、未だに殺された人の怨念が残っているようで、他の人が誰もいないフロアを歩いたときは、正直ちびりそうでした。

ロシアンマーケットへ

外へ出て、昼寝していたドライバーを起こし、ロシアンマーケットへ。

夕方からマッサージを受けたかったので、マーケットに入る前に、電話屋さんで、電話を借りた。店の人と話をして、電話をかけようとすると、周囲に人が集まってきた。外人がなにか動作をおこし、人と喋るとすぐに5~6人は集まるのが、この国のすごいところ。1人に1人ずつアテンダントが付く、ファーストクラスよりも待遇が良い。ただ、時々だまされるのが残念だが。

予約を済ませてマーケットに入った。活気に溢れるマーケットには生きた魚や、とれたての野菜、果物に、牛や豚の肉など、どれも新鮮なものばかりが置かれていた。今は貧しいが、この国は本当に豊かな国だ。生きるための物はそろっていて、豊かで穏やかな自然がある。

地政学的な問題から、数多くの辛酸をなめ、内乱と混乱に支配されたこの国だが、日本とは違った豊かさが、この国にはある。人々が穏やかなのは、もともとの豊かさからくるものではないかと考えたりした。

その後、市内最大のセントラルマーケットにも行く。果物屋のねーちゃんと、片言の英語を交わしながら、果物を選ぶ。彼女は親切にも選んだ果物を剥いてくれようとナイフを取り出したが、怪しくよごれたそのナイフからは、死の匂いがした為、丁寧に洗ってもらい、剥いてもらった。食べている間、少しばかり話しをした。

日本人は好きだと言っていた。色々話をしていて思ったが、タイ人とカンボジア人では大きく捉え方が違うと思った点があった。

それは、先進国などに対する考えだ。タイ人は、日本の話などをすると、行きたいけど、お金がないから行くことが出来ないという感じの発言をする。ただ、運良く、金持ちになれば行ける可能性がある。一方カンボジア人は、行きたいと思い得ない状況であるといった感じの発言をする。カンボジア人に金持ちは基本的におらず、ほとんどの人が貧乏だ。居たとしても、外国に行くほどの余裕はない。

街中に娯楽施設なんてないし、あっても、行く金がない。一人当たりの月収平均が25ドルほど。日本への航空券は400ドル。ほとんど自分と年の変わらない子と、話をしながら、不思議な感覚を覚えた。だからカンボジアの貧困を無くさねばなんて言うつもりはない。

よく、こういうテーマになると、それでも、金があるからと言って幸せとはかぎらないと言う。確かにそうだが、金は必要。金が無いとは、往々にして悲劇を生み出すことになる。金があるからと言って幸せではないとは、余裕のある人間の発言であって、現実を目の前にした時、ただ、不思議な感覚になるばかりだった。

国立博物館から応急へ

その後、仏像ばかりが置いてある、国立博物館をざっと見た。規模は、地方の県の博物館のほうが大きいほど。それにしても、この国には手足を失った人たちや、奇形の人が多い。

王宮へ入る。王宮の中は、以外にへぼい。遠くから見るとギラギラ光っていたが、近づくと、タイルやペンキが所どころはがれ落ちたりしていて、王宮らしくなかった。内部に、ジャヤヴァルマン七世の像があり、日本語で解説があった。この解説がまた、おそまつ極まりなく、すべてひらがなで書いてあり、しかもパソコンの翻訳機にかけたような出来だった。がっかりしたような納得したような気持ちで外に出て、川沿いのレストランで夕食をとる。そして、マッサージへ。

今回はマッサージというよりもスパに行ったわけだが、フット+全身スクラブ+フェイシャル+オイルマッサージのフルコースで50ドル。とても洒落た店内でのんびりくつろぎながらマッサージ。3時間30分後、全身リラックス、肌はテカテカ、ツルツルになった。

終わった後、店員とちょっと話し、将来カンボジアでビジネスを始めたいと、ハッタリをかますと、相手はかなり興味を示し、名刺を渡してきた。彼女はフィリピン出身らしく、俺にフィリピンで商売しようと、力を込めて誘ってきた。

多少ハッタリをかまし過ぎた感はあったが、50ドルを払ってスパにきて、5つ星ホテルに泊まると称する日本人は金の成る木、最高のスポンサーに見えたことだろう。とりあえずまた今度日本に行くから、他のカンボジアでバス会社を経営しているオーナーも交えて食事でもしようと言って別れた。

身体がリフレッシュしたところで今日もまたカジノへ。

昨日と同じくルーレットへ。儲けた一万円を元に勝負。。。しかし、ディーラーはどうやら適当に投げているらしく、まったくやる気が感じられない。一回か二回は当たったが、最後は全て失い、昨日稼いだお金は、元々あった場所へと帰っていった。そこで切り上げるのは、苦しかったが、諦めが肝要。

ホテルに戻り、日記をつけながら苦めのビールをあおった。そして床に就いた。


この記事を書いた人
りーぶら
りーぶら30代、都内在住、男性。

大企業に勤務するサラリーマンで、M&Aを手がけたり、世界を飛び回ったりしている。ぬるま湯に浸かって、飼い慣らされているサラリーマンが大嫌い。会社と契約関係にあるプロとしての自覚を持ち、日々ハイパフォーマンスの極みを目指している。歴史を学ぶことは未来を知ること、を掲げてしばしば世界を旅している。最近は独立して生きる力を身に付けるべく、資産運用に精を出している。好きな言葉 「人生の本舞台は常に将来に在り」

■関連記事

これは、第二次世界大戦下の日本を描いた、スタジオジブリの映画、「火垂るの墓」のワンシーンである。 火垂るの墓は、海軍士官の父親を戦場で亡くし、空襲で母親を亡くした、兄と妹が、必死に生きていく姿を描き出...   続きを読む »

列島改造論を読んだ直後に古本屋で見かけて、思わず手に取ってみた本。 国粋主義者による、ロジック破綻系の想いを書き連ねている本かと思い、中古本屋でぱらっとめくって閉じようかと思ったが、地味に面白くて買っ...   続きを読む »

以前、ソラデーに関する記事と業者をボコボコにした話を書いた事があるが、読者の皆様から絶大なるご支持を頂き、沢山の応援や励ましのメールを頂戴している。 参考リンク:【爽快】奇跡の歯ブラシ ソラデーが知ら...   続きを読む »

長い期間出張をしているとだんだん髪の毛が伸びてくる。海外と言えば中国で洗頭と呼ばれるマッサージにはよく行くが髪を切ってもらった事はない。 (洗頭とは、椅子に座って体勢を起こしたままの状態で頭を洗うサー...   続きを読む »

伊豆の老舗、天城荘はバブル時代に10億円を売り上げていたが、どんどん客離れが進んで、3億2000万円の負債を抱えた。 その旅館をリバティー社が買収して再生を始めた。 このストーリーはガイアの夜明けで放...   続きを読む »

ページトップへ