モンゴル軍はなぜ強かったか?

2018年2月1日世界史の窓

人類史上最大の帝国はローマでもイギリスでもない。アジア人が作ったモンゴル帝国である。

モンゴル帝国は、荒野の広がるユーラシア大陸の中央部からロシアがメインの為、人口がそこまで密集している地域ではなかったものの、中国、中東など、隆々たる文明を持っているエリアを次々と落としていった。

それではなぜ、これほどに強大な国家を創り上げる事が出来たのだろうか?

まず、テクニカルな面を挙げていこう。

何より、遊牧民として、国民の多くが凄まじい機動力を有していたことが挙げられる。モンゴルの子供たちは、生まれたころから馬の上で育っており、足は鐙の形に変形していたという。また、移動する時には2頭の馬を乗り換えながら、止まる事なく走り続けられたという。

仕事でも資産運用でも実感する事だが、スピードは何にも勝る。巨大なパワーを、誰よりも早く、一点集中できた時の突破力はすさまじく、戦う前から勝ち戦をしている状況を作りやすいのである。

次に、戦争に欠かせない兵站だが、遊牧民は干して固くたたいた羊の肉を袋に詰めて持ち歩いていた。これをお湯に溶かす事で、栄養満点のスープが出来上がり、わずかな体積で大変な栄養価を持ち運ぶことが出来た。また、渇きを感じたときには、馬の首をわずかに切って、その血を飲んで過ごしたという。

そして、戦闘における強さである。モンゴル軍は小さいころから人馬一体となっており、馬に乗ったまま、片側にぶら下がり、馬を盾にしながら、敵に向かって矢を射る事が出来たという。敵と戦う時は、騎馬兵ならではの機動力を生かして、撤退戦を仕掛けながら敵を死地に追い込むのは常套手段だった。撤退戦は一歩間違えれば、軍隊が敗北の恐怖に包まれて潰走しかねない為、非常に訓練された軍団でないとできない芸当である。

更に、モンゴル軍は抵抗していた都市が陥落すると、住民を皆殺しにして見せしめにした。これによって、次に控えている都市は恐怖におののき、降伏するか逃げ出すしかなかった。

実際、中東にブハラ市という街があり、同市は8万の守備軍を擁する強力な要塞都市だったが、半年で陥落した。モンゴル軍は職人を除く住民と守備兵を皆殺しにしたうえで、一部は奴隷として送り出した。

 サマルカンドでは、投石機による凄まじい砲撃の後に攻め入り、1年は持ちこたえられると思われたが、わずか5日で陥落した。70万の住民は男女を問わず皆殺しにされ、ブハラ市の大守だったイナルチュクは生け捕られ、煮えたぎる銀を目と耳に注ぎ込まれて殺された。


 
このような調子だったので、周辺国は恐れおののき、守りを固めてモンゴルの襲来を待つばかりであった。

と、色々と物理的な面を書いてきたが、やはりモンゴル軍が強かった理由は、指導者の強い意思であろう。周辺国を制圧する、世界征服する、と決意したら、どのような困難があったとしても乗り越えていく覚悟を持ったことがこの大帝国を作ったに違いない。

侵略の手を緩めようとする部下がいれば首を切り、侵略する国の徹底的な破壊を命じ、非道も何も関係なく、自らが求めるものの達成の為に、全てを肯定する。この非道さが世界一の大帝国を築かせたのである。

現代の世界にはチンギスハンの子孫が1600万人もいるという。世界を征服し、誰よりも多く子孫を残す。チンギスハンはこれを目的に一生をかけた。これぞ正に、人間の究極の欲望を体現したものであり、その欲望の強さこそがモンゴル軍が何よりも強かった理由ではないだろうか。

以上


この記事を書いた人
りーぶら
りーぶら30代、都内在住、男性。

大企業に勤務するサラリーマンで、M&Aを手がけたり、世界を飛び回ったりしている。ぬるま湯に浸かって、飼い慣らされているサラリーマンが大嫌い。会社と契約関係にあるプロとしての自覚を持ち、日々ハイパフォーマンスの極みを目指している。歴史を学ぶことは未来を知ること、を掲げてしばしば世界を旅している。最近は独立して生きる力を身に付けるべく、資産運用に精を出している。好きな言葉 「人生の本舞台は常に将来に在り」

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