ヒロシマの被爆者と話した時のこと

2018年1月29日世界史の窓, 日本の論点

最近、原爆投下から3日後の広島で、毎日新聞記者が撮影した少女の身元が73年を経て判明した・・・というニュースが流れた。当時10歳の藤井幸子(ゆきこ)さん(1977年に42歳で死去)という方だったそうだ。

写真には、手などに重いやけどを負った痛ましい姿が写されていたが、最新のテクノロジーによって、人物を特定する事が出来たという。

テクノロジーの進化が凄い、と思ったが、それ以上に、仕事を通じて親しくなった方が、広島の原爆投下を体験しており、原爆投下時の広島の状況を語ってくれたことを思い出した。

その方は、5年まえに亡くなったが、今生きていれば90歳くらいの女性である。その時に聞いた話を書いてみたい。。。

当時、広島の田舎に住んでおり、朝から山にある畑で仕事していた1945年8月6日、原爆にあった。ピカッと強烈な閃光の直後に、市内に巨大な火の雲が立ち上るのが見えた。強烈な光と爆風で、吹き飛ばされたのか、しばしの間記憶がないが、気づけば山を下りていた。意識も朦朧としながら転がるように山を下りたんだと思う。

幸いにも体が無事だったので、家で過ごしていたが、2-3日後に、看護婦として市内に入るようにとの指令があった(誰からどんな指令があったか、いつ市内に入ったかは聞き漏れた。ちなみにこの方は看護婦ではなく、一般人)。

市内に入ると、そこは正に地獄絵図だった。道端には死体がゴロゴロと転がり、焼けた家屋や資材がいまだに熱をもってくすぶっていた。

看護所には負傷者があふれており、治療を受けられずにただただ死を待つばかりの人達が列をなしていた。

全身にやけどをしている人達に巻く包帯も足りず、注射も薬もなかった。看護するとは名ばかりで、死んだ人を運び出し、死にそうになっている人を看取る事しかできなかった。

酷いやけどを負った人たちは、なぜか一様にお水をください、お水をください、と言っていた。そして、水を汲んで飲ませると、ひと呼吸、ふた呼吸して、ふっと息を引き取っていった。理由はわからないし、死んでしまうけど、死の淵に立ち、水を求めて苦しむ人たちにしてあげられる事は、水を持ってくる事くらいだった。死にゆく人達を前にして、自分に出来る事は本当にそれ以外になかった。

酷いやけどを負っても生き延びた人たちは居た。自分が知っている女性で、原爆でやけどを負った人たちは「原爆乙女」と呼ばれ、人前に出る事も出来ず、自殺していった。男性で生き残った人達も、ケロイド跡を見ると、ピカがうつる、と言って差別されたりした。

・・・

救護活動の一環として、道端で倒れている人達の運搬もやった。黒い雨が降る中、生き残っている人達を探しつつ、死体を片付けていった。やけどがひどく、手や足をもって引っ張ると、ズルっと皮がむけて、運ぶことも困難だった。

看護所にいても、道端で死体を片付けていても、恐いとか疲れたと思ったことはひと時もない。あまりに凄惨な光景を前に、ただただ必死に命を助けようとしか思わなかった。

あの時の光景が、いくつになっても忘れられない。8月6日が来るたびに、毎年忘れようと思っていた記憶がよみがえり、しらずと涙がこぼれる。当時は泣きたいと思う余裕もなかったのに。終戦記念日にも涙がこぼれる。

戦争が終わり、出征していた夫がフィリピンから体を壊して戻ってきた。そして、ほどなくして亡くなった。それからというもの、3人の子供を育てるのに兎に角必死だった。子供が頼れるのは自分ひとりだけ、わき目もふらずに、仕事を3つ掛け持ちして働いてきた。

そして、何とか皆を育てきる事が出来て、平和な時代が来たので、もう自分はいつ浄土に行っても良い。

もう何も思い残すことはないのに、巣立っていった子供達やその孫と幸せな日々を送っているのに、忘れようと思っても、いつまでもあの時の光景が瞼に焼き付いている。生き残った自分に、苦しみながら死んでいった人たちが語り掛けてくるような気がして、毎年涙をこらえる事が出来ない。。。

以上


この記事を書いた人
りーぶら
りーぶら30代、都内在住、男性。

大企業に勤務するサラリーマンで、M&Aを手がけたり、世界を飛び回ったりしている。ぬるま湯に浸かって、飼い慣らされているサラリーマンが大嫌い。会社と契約関係にあるプロとしての自覚を持ち、日々ハイパフォーマンスの極みを目指している。歴史を学ぶことは未来を知ること、を掲げてしばしば世界を旅している。最近は独立して生きる力を身に付けるべく、資産運用に精を出している。好きな言葉 「人生の本舞台は常に将来に在り」

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