ナウシカの原作から読み解く、人間社会の未来とは

近頃、食事をすることに抵抗がある。同じようなものしか食べていないというのが大きな理由。正確に言うと、それぞれ味は違うが、同じように値段の安い外食に飽きたということだ。

どの食事も、一口目はおいしく感じるように作ってあるが、食後に気持ち悪くなる。化学調味料をたっぷりと加えて、農薬付けにして育てられた食物を食べる。飽きても、嫌になっても、他に食べるものはない。あったとしても、お金がかかる。

水を飲めば、おぞましい臭いがしたり、錆びた味がしたり。酒をロックで飲むときに、水道水で作った氷を入れると、高い酒も台無しになる。美味しいと感じることができる水を手に入れるためにもお金が必要。

街を歩くと、相変わらずの不味い空気。こもったような空気の塊がそこら中に浮かんでいる。

本当に美味しい肉や魚を食べたり、空気を吸うことなく、都会での生活を豊かだと思い込むことは果てしなく不幸なこと。

思い込んでいる本人はまったく不幸ではないが、客観的には不幸だ。満員電車に揺られ、無理やり作られた作物を安い値段で腹に詰め込むことを強いられて、よどんだ空気を肺に入れる。これが不幸でなくて、なんなのか。

もちろん、都会での生活は刺激的で、すばらしく便利であるが故に多くの人をひきつける。実際にすんでいて、多くの面で便利さを感じる。ただ、その都会での暮らしにさらに多くを求めたいというわけだ。

おそらく、はじめから自然と触れ合わずに育てば、自然がもたらすありがたみや、豊かさを理解しないまま、自分の住んでいる環境を肯定していく傾向にあるだろう。

知らないものを欲しいと思えるわけがない。自然の側に生きることが快適と知らねば、求めは決して生まれず、自然は遠い異国の物語になる。

将来、都会ではすでにそうだが、自然は金持ちや特権階級が手に入れることが出来るぜいたく品になるだろう。貧しい人間は、都会という劣悪な自然環境に身をおき、自身のおかれている状況を不幸だとも思わない。貧しい人間にとって、自然は文章と映像に記録されている、データでしかない。

と、書いているうちに話がそれたが。。。

そういえば、先日ナウシカの原作を読み返した。宮崎駿は凄い。あれだけ重層な世界を漫画で表現しているのだから。

映画版ではトルメキアが単なる侵略者としてしか描かれていなかったが、原作ではそれぞれの人間、国家が生き残りをかけて戦い、誰が悪者と一概に言えない状況になっている。

腐海の伸張によって少なくなっていく土地。有毒の大気、凶暴な太陽光、枯渇した大地、次々と生まれる新しい病気、おびただしい死。ありとあらゆる宗教、ありとあらゆる正義、ありとあらゆる利害、調停のために神まで造った。。

残された資源と、ありとあらゆる価値観の為に、戦が繰り返され、人間は何度も腐海を焼こうとした。その度に王蟲が大波となって都市に押し寄せ、その骸を苗床にし腐海が広がっていった。

そんな凄まじい世界を舞台に、生命とは何かを描いている。ナウシカは言う。

「私達の身体が人工で作り変えられていても、私達の生命は私達のものだ。」「生命は生命の力で生きている!」「その朝が来るなら私たちはその朝にむかって生きよう。」

「私達は血を吐きつつ、繰り返し繰り返しその朝を越えてとぶ鳥だ!!」

「生きることは変わることだ。王蟲も粘菌も草木も人間も変わっていくだろう。腐海も共に生きるだろう」

「私達は腐海と共に生きてきたのだ。亡びはすでに私達のくらしのすでに一部になっている」

生命に目的や価値や意味がある必要はない。死の影を傍らに生きる。生命は光ではない。闇の中に瞬く光だ。清浄と汚濁こそ生命であり、虚無の深淵からいたわりが生まれる。

と、興味深いわけです。

映画版では、人間の作った巨神兵が王蟲の群れを焼き払う。俺が思うに、実際この映像を見たとき、よくやった!という感じだった。人間が住みかを確保するために森を焼き払おうと試みるのも、当然の仕業と思った。

人間が自然をコントロールできるなら、それは大いに結構だと思う。人類が快適に生存していくべく、科学力で自然を変化させていくのも推進されるべき。

快適にしようと、自然を変化させすぎてしっぺ返しを食らった時に、自然に対する畏れが噴出するが、そのしっぺ返しですら将来、科学力で克服されるべき。

自然と共生・・これは人間が快適さを放棄するか、科学力を極めるかのどちらかでしか達成されない。自然を守るのは人類のためであって、わけのわからない高尚な目的のためではない。

豊かな自然という言葉自体、人間にとって豊かであるということ。つまり、これを守る動きは人類のため以外にあり得ない。守るべき自然も、科学力によって守られるべきで、開発をとめることで問題解決は図れない。

科学によって、より自然を生かす。それが実現可能な共生ということではないか。街中の排気ガスも科学の力で浄化し、森も科学で作り出す。

科学の限界を超えて、自然の法則を解き明かす、それが人間社会の未来のあり姿だと思う。

以上


この記事を書いた人
りーぶら
りーぶら30代、都内在住、男性。

大企業に勤務するサラリーマンで、M&Aを手がけたり、世界を飛び回ったりしている。ぬるま湯に浸かって、飼い慣らされているサラリーマンが大嫌い。会社と契約関係にあるプロとしての自覚を持ち、日々ハイパフォーマンスの極みを目指している。歴史を学ぶことは未来を知ること、を掲げてしばしば世界を旅している。最近は独立して生きる力を身に付けるべく、資産運用に精を出している。好きな言葉 「人生の本舞台は常に将来に在り」

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