定年という概念を捨て去るべき理由

2018年11月13日日本の論点, 処世術

最近本屋に行くと定年準備だとか、最高の定年の迎え方とか言う本が並んでいるが、違和感を禁じえない。

そもそも、定年まで勤めあげて、そのあとの人生はどう生きるべきか、なんて人に聞くべき話じゃない。好きに生きたらいいし、誰かにコントロールされる必要はない。

更に根源的な話をすれば、定年、という概念自体がおかしい。仕事は楽しいものであって、遣り甲斐があるものなので、死ぬまで働くべき、というのが私の発想であって、そういう風に出来ないならば、その仕事はやめるべきだと思う。

仮に企業の制度上、やめねばならない日が来るとしても、自分の培ってきた能力を活かして同じような仕事につけば、定年なんて来ないだろう。ずっと働いて世の中に貢献していく事が出来る。

なのに、会社は行きたくないもの、定年を迎えてハッピー、定年が来たら次の人生はどう過ごすべきかわからないから本読んで人のマネする、なんてほんとにしょうもない発想である。

仕事は生き甲斐にすべし、そして死ぬまで働くべし、やめたらやりたい事が死ぬほどあるべき。と私は思う。

それらが出来ない、やりたい事が無い、つまらないなら、その人は何のために生きているのだろうか?60年以上も生きて、やりたい事が無い人生って、生きる意味があるのだろうか。不思議でしょうがない。

人生は楽しい、楽しくするかどうかは自分次第である。楽しむ為には考えたり行動する必要がある。それをサボって今をやり過ごそうとするから、永遠に本当に過ごすべき今はやってこない。

25歳の時に生きるべき人生が見えず、35歳で生きる人生が見えず、45歳になっていたとしたら、その人は死ぬまで消化試合が続くだろう。

人生は短く、あっけない。ならば、本当に過ごすべき今を生きられるような人生を生きたほうが楽しいじゃないか、定年なんて気にしなくていい人生を歩むべきではないか、と純粋に思う次第である。


この記事を書いた人
りーぶら
りーぶら30代、都内在住、男性。

大企業に勤務するサラリーマンで、M&Aを手がけたり、世界を飛び回ったりしている。ぬるま湯に浸かって、飼い慣らされているサラリーマンが大嫌い。会社と契約関係にあるプロとしての自覚を持ち、日々ハイパフォーマンスの極みを目指している。歴史を学ぶことは未来を知ること、を掲げてしばしば世界を旅している。最近は独立して生きる力を身に付けるべく、資産運用に精を出している。好きな言葉 「人生の本舞台は常に将来に在り」

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