デリー、バラナシ、アグラ、ジャイプールの旅 ~インドの旅はカレーの香り~⑤

4日目: バラナシの朝

この日はこんなスケジュールで動いた。

早朝、ヒンドゥー教徒が沐浴するガンジス川をボートで遊覧。その後、バラナシの観光(火葬場マニカルニカー・ガート、ヴィシュワナート寺院、ドゥルガー寺院等)。

バラナシ/アグラ 1210/1320 Air India AI-406
夕方、タージ・マハルを対岸より見学。
アグラ泊: ITC Mughal

早朝のガンジス河

朝日を受けてキラキラと光るガンジス河は見るべき。
ガイドのアドバイスを受けて、疲れてはいたが、朝4時30分に起きてガンジス河に向かった。

 

 

以下の真ん中の赤い塔が火葬場。煙が立ち上っている。

 

沐浴する人達。灰が流れる川で牛がクソをし、子供がしょんべんをし、おっさんが口をゆすぎ、おばさんが何かを洗っている。正にカオス。なんか肌の色もかなり違うし、何人なのか正体もわからない人達が、思い思いに沐浴している。

 

ここでも沐浴。体を洗っているわけではなく、穢れを落とすイメージだろうか・・・

 

昨日大騒ぎになっていたガートの朝の光景。写真を向けるとおじさんたちが笑顔ではしゃぎ、口をゆすぐ。

沐浴する人達に、飛び込め!飛び込め!と言われたが、うがいする人、尻を洗う人、洗濯する人、ゴミ捨てる人、など、もう兎に角色々いすぎて、飛び込んだら一瞬で病気になると確信できた。こういう時にやっちゃいたい気持ちになるが、はやる気持ちをぐっと抑えて、飛び込まずにいた。

そして、火葬場を見学。途中、オレンジの服を着た僧侶たちがいたが、ガイドが「あれは全員偽物の物乞い」と教えてくれたので、全部無視して通り過ぎた。

火葬場に到着。亡くなりゆく人達に配慮し、ここでは一切写真を控えてほしいとガイドより説明があったため、写真はない。

火葬場の周辺は牛が小便して道がぐちゃぐちゃになっていた。ガイドの説明によると、インド中のヒンズー教徒が死ぬ間際に家族と共にここにやってくるとのこと。金の無い人達はガンジス河の火葬場迄歩いてきて、そこで死ぬのを待つらしい。死を待つ人たちの宿泊施設(通称ムクティバワン)があり、その人たちはヒンズー教徒の寄付で生きているらしい。

しかし火葬場はすさまじかった。どんどん袋に包まれた遺体が運び込まれ、薪が積まれて焼かれていく。その周りを犬がはしりまわっている。おそらく焼けた肉を食っているのだろう。

しばらく見ていたところ、突如後ろから猛り狂った牛が突っ込んできた。まじめに襲われそうで、かなり危険な状況だったが、インド人が先が枝分かれした竹の棒のようなもので、叩きまくって追い払った。凄まじい勢いで殴っていた。あれは殺すぐらいの勢いで殴っていたのだと思う。

火葬場からホテルへ

昨晩見えなかったものが、明るくなって見えてきた。

とりあえず町は汚く、とにかく混とんとしている。

ホテルに着くと、本当にほっとする。きんもくせい?の香りのする器を前に一息つく。

 

ホテルの中は吹き抜けになっていて、光が中央の空間に注ぎ込んでいる。昨晩はこの吹き抜けの真ん中に琵琶法師みたいなのがいて、夜な夜な演奏していた。

ここでようやく朝飯を食って少し休憩したら9時になった。迎えに来ると言っていたガイドはちっとも来ない。心配になったがとりあえず待っていたらようやく来た。

 

ホテルに我々をどこかの大通り迄連れてくるよう伝えていたらしいが、うまく伝わっていなかったので迎えに来たとの事。それ、ホテルに文句言うより、自分の仕事なのでは?と思いつつ、ガイドについて車へと向かった。

 

と思ったら、車に乗るまでの道のりが狭すぎて走れないので、サイクルリクシャーに乗ります・・・と言われてチャリに荷台がついたやつに載せられた。漕ぎ手は一人で、トランク二つに人間二人を乗せて、漕いでいるのでそれはもう大変そうだった。

というか、チャリのチェーンがぶっ壊れてしまうのでは、チャリのフレームがゆがむのではと心配で気が気でない。しかも、チャリの横をバイクとか別のチャリとかが猛スピードで通り過ぎる上、牛をよけながら通るので、右に行ったり左に行ったり、実に乗り心地が悪い。

漸くチャリを降りたと思ったら、しばらくここで待っててくれ、車呼んでくる、と言われて埃に塗れた道に立ち尽くしていた。

 

と、横から全身がイボで包まれたおばあさんが現れた。金をくれ、と言っているのだが、その異形に強い衝撃を受けた。何せ、イボもそうだが、顔がほぼ崩れていて原型がなく、手足や胸が大小無数のイボでびっしりと包まれている。

何かの伝染病か、その瞬間はわからなかったが、兎に角未知の病への恐怖から、おばあさんには申し訳ない事をしてしまったが、思わず体をのけぞらせてしまった。

後でインターネットなどを調べてみたが、あの症状は恐らくハンセン病でそれに加えて何か別の病気も併発していたのではないかと思われる。おばあさんに会う前、私はハンセン病は弱い菌が原因でかかるものの現在は薬を飲めば確実に根治可能な病気である、と理解していた。そして、世界で略病気が制圧されていると思い込んでいた。

しかし、色々調べてみると、インドでは実は拡大しつつあるらしい。薬を買う金がなく、病気への正しい知識もなく、寧ろ治療を受ける環境すらない、という状況で、先進国では根治出来る病に苦しむ人たちがいるという事である。

ハンセン病に対する差別が戦後の日本でも続いてきた事は知っていて、そのような差別を根絶すべきである、と思っていたが、初めて重篤なハンセン病患者を目の前にして、恐れるような態度をとってしまった自分の心根が無性に恥ずかしかった。

 

漸く車が来て走り始めると、何か救われたような気持ちになった。

と、再び窓の外に目が釘付けになった。学生の頃に特異な症例として学んだ事がある、象皮病の患者が道端で物乞いをしていた。足の皮膚が伸びてふくらみ、夫々の足が胴体の1.5倍ぐらいの太さになり、歩くのも困難になる病気である。

このような病にかかっている人を目の当たりにし、人生とはいったい何か、斯様に不幸な病に見舞われるとはいったい何なのか、人の一生がどれほど不公平なのか、感じさせられざるを得なかった。

そんな事を思わされたのは病にかかった人を見たからだけではない。この町は人が死にゆく為にやってくる。死を待ち、火葬場で焼かれ、ガンジス川に流されていく。そんな人間の流転を横目に、動物たちはその日を生きる為のエサを探し続けている。

 

普段、都会で暮らす日本人が遠ざけんとしている、死が生のすぐ隣にある。そして、生もまた、ただ時間を過ごす生ではなく、もがき苦しみ、明日を掴み取らんとする生がある。カースト制度もあって、人々の一生の不平等さは猶更ふかいだろう。

 

仏陀がこのような現実を見て、生老病死の苦しみからは逃れられないと悟る、そんなことを考える環境が正にここにはある、と感じさせられた。

この街は、私がこれまで旅してきた中で、最上級の衝撃を受けさせられた、そんな街だった。

 

そして、昼過ぎに飛行機に乗ってアグラへ。

バラナシで受けた衝撃を受け止めつつ、飛行機に乗ってアグラへ向かった。

 

飛行機を降りて、空港のゲートを出たところで、携帯が無い事に気づいた。

 

どうやら、着陸の衝撃でポケットから滑り落ちてしまったらしい。直ぐに引き返したが、わずか30分の間に、飛行機はバラナシに向けて飛んで行ってしまったらしい。

もはや絶望的な状況だったが、ガイドが頑張って空港の係員と交渉し状況を確認してくれた。

すると、その飛行機はバラナシについた後、国内を色々飛んでデリーにいく予定とわかった。更に交渉を進め、バラナシに到着次第、飛行機の中を探してもらう事となった。

探してもらった結果、あるような、無いような、理解不能な説明をされたが、あきらめずに空港の係員に捜索を依頼。

更に、見つかった場合には、その携帯をデリー空港の係員に送ってほしい、と交渉した。

ガイド曰く、まず携帯が出てきたとしても盗られるかもしれない。そして、盗られなかったとしても、空港の係員がちゃんと対応してくれるかわからないので、取り戻せる可能性は高くないとの事だった。

そんな説明を受けつつも、とにかくバラナシ、デリーの空港職員に連絡してほしい、と伝えたところ、両空港の担当者に電話してくれた。ここまでで既に2時間が経過。8人くらいの係員が入れ代わり立ち代わり部屋に入ってきては携帯電話捜索の為に、かかりきりになっている。

と言っても、全員がフル稼働しているわけではなく、水を持ってきたり、たたずんだり、雑談したり、パソコンなおしたり、停電を回復させたり、と電話捜索と直接関係ない事を只管やっていて、極めて効率がわるい。

兎に角人が行ったり来たりしているが、間違いなく全員、何のアウトプットも出していない事は間違いない。ずっと見守っていたので、間違いない。

そして、他の空港にコンタクトした結果、正式な依頼としてメールをしなければいけない、という話になった模様で、メールを打とうとしていたが、再びPCが落ち、メールソフトが壊れ、電話が繋がらず・・・・

そして、所長っぽいふとったオヤジが、何かトラブル度に、凄まじくでかい声で部下を呼ぶ。アンジー!!アンジー!!オビー!!オビー!!と。

 

しかし部下は誰も来ない。15分くらいしている間に、フラッと部下が現れてブラブラして、またどこかに行く。この繰り返しだった。

 

ガイド曰く、この所長は4段階あるうちの一番低いシュードラ出身だという。ガイドがその結論を出した理由は、背景が複雑すぎて全く分からなかったが、どうやら低いカーストの人を公務員的な仕事に雇わねばならない法律?があるらしく、それで雇われているということらしかった。

更に2時間が経過し、ようやくメールが1本発信された。本当に1通のメールを打つのに2時間かかっており、その間別の仕事をしている様子は全くなかった。

 

兎に角、空港職員に只管お礼を言って、そのメールのコピーをガイドが受け取って、とりあえずアグラの街に向かった。

タージマハルの対岸より

只管おじさんたちと携帯探しをやっていたため、つかれていたが、タージマハルをみてその疲れは吹き飛んだ。実に素晴らしい光景で、インドを象徴する建物である理由をまざまざと感じさせられた。

そしてその日はITC Mugalに宿泊。ホテルはやたら広く、ゴルフ場に併設したホテルっぽい雰囲気で、ロビーからずーっと歩いていくと部屋が連なっている感じだった。

夜中はホテルの地下にあったカレー屋で食事。辛いしうまい。ケバブが最高。魚カレーも最高。奥深いスパイスが後から辛さを感じさせ、旨辛い。

大満足しながらその日はバーで軽く飲んだ。
本当はスパに行きたかったが、携帯を無くしたことにより時間が大幅に削られ、スパは諦めた。

そして、ゆっくりと眠りについた。

第6話:https://wp.me/p9zb4C-q8


この記事を書いた人
りーぶら
りーぶら30代、都内在住、男性。

大企業に勤務するサラリーマンで、M&Aを手がけたり、世界を飛び回ったりしている。ぬるま湯に浸かって、飼い慣らされているサラリーマンが大嫌い。会社と契約関係にあるプロとしての自覚を持ち、日々ハイパフォーマンスの極みを目指している。歴史を学ぶことは未来を知ること、を掲げてしばしば世界を旅している。最近は独立して生きる力を身に付けるべく、資産運用に精を出している。好きな言葉 「人生の本舞台は常に将来に在り」

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