価値相対主義により思考停止に陥るとき

必要なことはなんなのか、人間は頭の中では混沌とした状態にある。

それをはっきりとさせるのが、言葉である。言葉を通じて、混沌に筋道を立てる。言葉を介し、思考の限界の先にあるものが目標という言葉だ。

例えば、混沌のなかにあるものを100とすると、筋道をたて、目標を見つけていく過程が在る。

この過程で、言語、知能の限界ゆえに、目標到達の時点で100あったものは80くらいになっているかもしれない。

ただ、それが、言葉の限界であって、知能の限界である。導き出された80を100だと思い込むのが、人間の限界であって、80の積み重ねが人格を形成する。

学校教育にも目標が必要だ。なぜなら、学校教育をほどこすのは組織だから。

この目標というのは、目標というわかりやすいものに仕立て上げられる過程で、100から幾分か失われる部分がある。

失われた部分は、異なる80を積み重ねてきた人にとって、納得できないものとなり、批判の対象となる。これが教育の限界であって、目標を設定しなければ確固たるものとして、成立し得ない組織の限界である。

個人的な教育もやはり目標が必要になるのではないだろうか。組織のみならず、個人も、目標があって初めて、望むべき方向に到達しやすくなる。目標立てば、自ずと心穏やかなる。これはある意味真実だろう。

すべての言葉には限界がある。

ただ、目的としているところが、定まっているものにせよ、そうでないにせよ、限界があることに、ちょっと考える人間なら気づくことだろう。

この文章を書きながら、思考を組み立て整理して、80を積み重ねている俺自身も、まさにこの場で自身の限界を露呈している。それが、私の限界であって、人間の、すべての人の限界ではなかろうか。

ただ、限界という言葉で物事を片付けるのは、何の進歩も無い。

そこに精神的な向上はない。そう、今書いた精神的な向上というのが、限界を超えていこうとする姿勢だ。

その姿勢は、やはり、80を積み重ねることによって生まれた私の今であって、目標と言えるのかもしれない。この様に書いても、やはりこの一連の流れは80に限定されている。

再び繰り返しにはなるが、80の積み重ねが自分を形成する。

もちろんこれから述べる内容が他の80を積み重ねた俺以外のすべての人にとって、批判される対象になりうる。。。

と、ここまで読んで、そういう考えもあると思った人にとってみて、まさに批判すべき内容になる可能性がある。

つまり、そういう考えもあると思った人は、価値相対主義であるということ。私は、価値相対主義を疑問に思う。。。

色々な人の価値観を理解するようにと、現代日本では誰もが教え、口にする。

だが、誰もが口にし、多くの人が思っている価値相対主義は本当の意味での価値相対ではない。

現代で言われる価値相対主義において、大部分の人は、それが正しいことであって、その思想を持つことによって、誰からも批判され得ないと言う部分において、自己を防衛するための予防線を張っている。

確かに、全ての価値は等価値を持つといわれると、今のところその考えにメスを入れることは出来ない。

だが、多くの場合、価値相対を唱えることによって、思考停止していることを覆い隠し、自分自身を騙して、納得しているのではないだろうか。

本当に考えるという過程を飛ばして、一番楽な結論に全てを収束させているのではないか。

これを読みながら、そうかもしれないと思いながらも、心の片隅で、頭のどこかで、それも一つの考え方として収束させているのではないか。

書いている自分自身もそれはある。生まれて今まで、価値相対で育った自分にとって、納得できないことも時に、価値相対だからといって受け流してきた自分にとって、日本人として価値相対教育を受けてきた自分にとって、今のところどうしても反論できない価値相対というものが、新たに入ってくるものを、巨大な怪物のように覆い尽くす。

これまで積み上げた80の中から、今、いや、前からぼんやりとしていたものがやっと80を積み重ねることではっきりしただけだろう。考えるということ、価値相対に挑戦しつづけるのが、生きているということである。

好奇心や、探究心が無い人間は人間ではない。猿などの動物と変わらない。

好奇心や、探究心を考えるという方面に向けたとき、それは、精神的な向上心と言える。

精神的な向上心のないものは馬鹿だ。好奇心や、探究心があって、初めて人間となる。人間であっても、精神的に向上心の無いものは、人間だけども馬鹿なのだ。

以上


この記事を書いた人
りーぶら
りーぶら30代、都内在住、男性。

大企業に勤務するサラリーマンで、M&Aを手がけたり、世界を飛び回ったりしている。ぬるま湯に浸かって、飼い慣らされているサラリーマンが大嫌い。会社と契約関係にあるプロとしての自覚を持ち、日々ハイパフォーマンスの極みを目指している。歴史を学ぶことは未来を知ること、を掲げてしばしば世界を旅している。最近は独立して生きる力を身に付けるべく、資産運用に精を出している。好きな言葉 「人生の本舞台は常に将来に在り」

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