世界最終国富論

2018年1月20日世界史の窓

以下は私が10年前に書いた文章である。

とある日、経済思想の歴史を勉強していた時のこと。。。

儒教から朱子学が生まれ、朱子学が日本へ伝わり、江戸時代には多事争論を抑えるべく、幕府が寛政異学の禁を発令した。そんな流れを勉強していると、お馴染み老中の田沼意次さんのお話が出ていた。

田沼が推進したのが、藩重商主義であり日本の重商主義政策の始まりと言われた。。。

と書いてあった。さらに詳細に読んでみると、他藩にブツを輸出することで金を手に入れ藩を富ますといった内容だった。これは所謂重商主義における重金主義であるが、ここに疑問を抱いた。

他藩に輸出して金を集めたとしても、藩内で金と銭の交換価値(つまり藩内での為替相場)が変動して、利益が少なくなるのではないか。

また、藩内でのブツの不足による物価高騰が生まれ、貴金属の価値が相対的に下がることで、他藩から得た富の価値が下がるのではないか。

また、例え他藩に輸出することで金が集まったところで、経済は日本国全体が関わる問題であり、一つの藩からの視点だけで利益を考えても、最終的にそれは利益にならないと考えた。

そもそも、経済学を学ぶと、価値の源泉がどこにあるのかという視点が欠落しがちな気がする。ゲームではないのだから、バロメーターを少し上下(何らかの金融政策実施)させたら、何事も解決できるという感覚は、地に根を下ろした経済学とは言えないと思う。

財物、サービスの価値の源泉は最終的にはやはり、生活に最低限必要な物から生まれるのではないか。なんでもかんでも「神の見えざる手」が値段を決定するわけではない。

先ほど書いた藩重商主義でも、藩が豊かになるためには、その藩のみの視点からでは真の富を得ることにはならないだろう。単に、有限な物を取引しても、日本国全体の根源的な財が増えていかなければ、シンプルなゼロサムゲームにしかならず、むしろ国力は減少する。

つまり、手元に金を集めることに注力してもあまり意味がなく、真の意味での富・・つまりこの時代では、米の生産を増加させねばダメということだ。

上記の話は、現在の世界にも当てはまる。藩と日本の関係は、日本と世界の関係と置き換えることが出来る。グローバル化によって、日本は世界の一つの藩になった。アメリカが徳川幕府のようなものだ。国連は天皇家のようなものだが、やはり徳川時代と同じように、ほとんどお飾りのような状態だ。

そんな世界において、富が増加する状態とはどんな状態だろうかと考えてみた。根源的な富が増加しないということは、世界全体でのゼロサムゲームが行われている状態だ。

現在各国の取引において、輸送や情報伝達にかかるコストが減少し続けていることで、ゼロサムゲームに掛かるコストも減少しており、また、各国での技術的イノベーションによって、世界全体の富は増加しているといえる。

この富の増加を爆発的にさせるものは何か。歴史を紐解いてみると、18世紀後半のイギリスで起こった産業革命が象徴的な例として挙げられる。

産業革命によって、貧富の格差が拡大すると同時に、世界全体の富は爆発的に増加した。富の増加・・・つまり世界全体の絶対的な富が増加しということ。。これにより産業革命以降、世界人口は急速かつ爆発的に増加した。

様々な種類の発明や発見が、統計的なデータから必然であったと言えるならば、この産業革命もまた必然的であった。イギリスで起こらなくても、他国で起こりえたと言われるのは半ば常識的に語られるところである。

折からの人口増加や、蓄積された様々な要因がこの産業革命を起こした。つまり、人類の歴史の転換点である産業革命は、起こるべき要素を日々蓄積しながら月日を重ねていたということだ。

18世紀後半の産業革命が起こってより250年。技術は以前と比してその開発スパンを急速に短縮しながら、日々発展を遂げている。次なる産業革命が起こるのも、初めてのの産業革命が偶然でないとすれば、時間の問題ではないか。

特に、現在注目されている核融合テクノロジー。地上の太陽と呼ばれるこの、恒久的エネルギーを手に入れれば、第二次産業革命は起こる。

原子の概念が生まれ、原子力発電が生まれ改良されていく過程を統計データで見ると、次なる大イノベーションの発現は目の前にある事を示唆している。

具体的な日時を確定させ、技術を理解することは大局をイメージする上に絶対必要なものではない。いつ、どこでどうなるかを確定させられなくとも、データから次なる発現を予測することこそ、文系的な観点として必要だろう。

話を戻すと、核融合エネルギーは、人類の英知の最高峰とも言える。クリーンかつ、無尽蔵なエネルギー。人類が夢見たものがそこにある。

かつて、産業革命が資本主義の端緒となったように、核融合エネルギーは第二次産業革命を引き起こし、資本主義も古き時代の思い出になるだろう。

マルクスが定義した、資本家が労働者を搾取するスタイルの経済は、終わりを告げ、核融合から生まれる無尽蔵なエネルギーは、世界全体の絶対的富を爆発的に増加させることであろう。

地上に太陽があるのだ。真水は容易に海水より取り出すことが可能であるし、作物への日照も思いのままだろう。都市には、高層ビル型の段々畑が作られ、1階から20階までが米、20階から40階までがキャベツ・・・と言ったドラえもんの世界でのお話が現実になる。

食料も水も世界に溢れる。かつて産業革命では、都市に農村からの剰余労働力が流入し、工業の発達を助けたという歴史があるが、恒久エネルギーの開発もまた、人口の集積と剰余労働力を生み、新たな階級を作り出すことだろう。

資本主義のように、搾取する資本家と搾取される労働者という関係ではなく、ある程度豊かさを持った、サービスの提供者達と、サービスシステム管理と構築者達に分かれていくことであろう。

恒久エネルギーの開発された世界では、全ての物がサービスであり、限りなく安いコストで人々に分配される。

レアメタルなどを利用した物資は、相対的に大きく高騰することだろう。欲望限りない人類は、基本的な生活が満たされたとしても、高騰したレアメタルをめぐり再び戦渦に巻き込まれていくだろう。。。

といった事を、日本経済思想史を勉強しながら考え、友達にその考えを滔々と語った。。すると、その友達は、俺の考えに対する結論を言った。

なるほどね。俺もそういう事を考えたことあるよ。俺も確か、試験期間中だったけど、革新的と自分で思えるような考えを思いついたと。。。まぁ今まで喋ってきたことを短くまとめると、それは試験から逃れる為の現実逃避に違いないと。

ご指摘の通り、経済学の歴史という死ぬほどつまらない分野を勉強する中で、現実逃避していたという部分は否めないが、以前から考えていた物の価値の根源について、重商主義と絡めて考えられたのは、大いなる進展であり進歩であったと、自分を納得させながら更けていった、テスト前日の夜でした。

おわり


この記事を書いた人
りーぶら
りーぶら30代、都内在住、男性。

大企業に勤務するサラリーマンで、M&Aを手がけたり、世界を飛び回ったりしている。ぬるま湯に浸かって、飼い慣らされているサラリーマンが大嫌い。会社と契約関係にあるプロとしての自覚を持ち、日々ハイパフォーマンスの極みを目指している。歴史を学ぶことは未来を知ること、を掲げてしばしば世界を旅している。最近は独立して生きる力を身に付けるべく、資産運用に精を出している。好きな言葉 「人生の本舞台は常に将来に在り」

■関連記事

東西の交易路として栄えたシルクロード。 ビジネスに関わるものなら、商人たちが利益を求めて、危険を冒してでも遥か西方から文物を運んだ、というストーリーに少なからず望郷の念を感じるのではないだろうか。 そ...   続きを読む »

とある夏の日、インドのゴールデントライアングル+1、つまり、デリー、バラナシ、アグラ、ジャイプールを訪問した。 世界40か国以上を旅してきたが、人生観を変える程の体験をさせられた事も有り、旅の記憶をこ...   続きを読む »

これはインパクトのあるCMである。電車の広告を観ると、お、周瑜、お、陸遜、などと思ってしまう。 あー張飛いたなー、桃園の誓いじゃないか、なんて懐かしい気持ちになり、三国志60巻セットを買ってしまった。...   続きを読む »

人類史上最大の帝国はローマでもイギリスでもない。アジア人が作ったモンゴル帝国である。 モンゴル帝国は、荒野の広がるユーラシア大陸の中央部からロシアがメインの為、人口がそこまで密集している地域ではなかっ...   続きを読む »

これは、第二次世界大戦下の日本を描いた、スタジオジブリの映画、「火垂るの墓」のワンシーンである。 火垂るの墓は、海軍士官の父親を戦場で亡くし、空襲で母親を亡くした、兄と妹が、必死に生きていく姿を描き出...   続きを読む »

ページトップへ