ネットの匿名性が終わる日~中国人少女の飛降り自殺に拍手喝采した人々~

2018年7月27日世界史の窓, 日本の論点

先日、中国の甘粛省に住む少女がビルから飛び降りて亡くなった。飛び降りようとしていた時、その様子を周囲の人間が動画配信したり、ツイッターで投稿したりしていたという。

そして、動画サイトなどには、「早く飛び降りろ」「まだ飛び降りないのか」といった書き込みが溢れ、自殺ショーさながらの有様だったという。

掲示板には以下のような書き込み迄なされた。

「さっさと飛び降りろ。そこに座って何待ってんの?」
「急いで飛んで。これ見た後、子どもを学校に迎え行かなきゃいけないんだけど」
「まだジャンプしてない。もう何時間もたつじゃん」

現代中国の闇、と一括りにする違和感

このニュースを取り上げたサイトは、現代中国の闇、というテーマで書いていて、あたかも現代の中国に問題があり、世の中に一般的な問題ではない、彼らは後進的である、といった書き方をしている。

私はこの書き方を見て違和感を禁じえなかった。

こういった問題が起こるのは、ネット社会の匿名性にあるのであって、現代の中国人が狂っていたり、後進的だからではない。

ネットは匿名で自分の欲望や本当の気持ちを書いても、誰にも咎められることはない。だからこそ、こういった人の死が絡むような局面において、人間の本質的な欲望やそれを表すコメントが掲示板に溢れる事になるのである。

そもそも、人の死を楽しんだり、興味を持ってのぞき込むのは人類の性ともいえる。

古代ローマ帝国で行われていた剣闘士の戦い

人の死を楽しむなんて、野蛮な行為、と思うならばローマに行ってみると良い。当時、世界最強の国だったローマ帝国の中心にはコロッセオが設置され、上流階級から一般庶民迄、誰もが剣闘士たちの戦いに熱狂した。

帝国全土から集められた勇者たちが、自由を勝ち取る為に命を懸けて戦いあう姿は本当に見ごたえがあったと思う。その剣士たちが手を挙げて進んで参加してきていたかというと全く違う。彼らの多くは、戦争に負けて奴隷となった人達などが、剣士に仕立て上げられていたケースが大半である。つまり、ボクシングの試合のように、出たくて出ている訳でなく、出ざるを得なくて死闘を繰り広げるという点が根本的に異なる。

参加者が望んだにせよ、無理やり出されていたにせよ、見ている側としては、臨場感のある人の死を目の当たりにする、というのが極めて「楽しく」「興奮する」行為なのである。

日常から遠ざけている死の魔力

現代では死は隔絶された世界にある。死にそうな人たちが街中に倒れている事はなく、死は病院の1室に隔離されている。普段から口にしている肉や魚ですら、どこか遠い町で殺されて、切り身になってスーパーに並ぶので、その凄惨な死を感じる事が中々出来ない。

清浄と汚濁、それらが混とんとしたものが生であり死であって、生き物そのものなわけだが、汚濁を兎に角切り離していった結果、生とは何か、死とは何かを感じる事すら出来ない世界になってきているのである。

ちょっと何が言いたいのか伝わり辛いかもしれないが、清浄と汚濁、生と死、に関しては宮崎駿監督のナウシカの原作をぜひ読んで欲しい。7巻に亘る重厚で壮大なストーリーから、生きる事の意味を感じられるはずである。

さて、話を戻すが、人の致死率は100%である。いつか死ぬ。それを誰もがわかっている。だから、人は生と死の境目を目の当たりにすると興奮を禁じえないのは当たり前だろう。本能的に感じ取っている生と死が、普段は切り離されて見えないのに、それが目の前で、ライブに、自らが生きている事を感じさせるイベントがあれば、人は興奮しないわけがないのである。

剣闘士の戦いが魅力的だったのは、本質的に人間が死を感じるシーンに興奮するというのがあろうし、今回の少女の飛び降りが見世物になってしまった背景には、生と死が切り分けられつつある現代社会において、死を感じるイベントが目の前にあった事が挙げられよう。

インターネット時代の終焉~匿名性の終焉~

先に述べた通り、インターネットの匿名性がこのように酷いコメントを許容する環境を生み出している。酷いコメントを書いた人達も、目の前に1000人いて、演壇で自分の感じている事を話すとすれば、ひどい事を絶対に言ったりはしないだろう。

なぜならば、そのような発言をすれば、1000人から非難され、身の危険が及ぶ可能性すらあるからである。一方、ネットの匿名掲示板では、好き放題言っても何の危険もない。だから、本能的に感じたことや人を非難する言葉などを平気で投げかけられるのである。

インターネットは世界のありとあらゆる人が公平に発言出来る機会を与えたという意味で、人類史上最大の発明だったともいえる。だが、現時点では便所の落書きに毛が生えた程度のサービスに留まっている。

インターネットが一層発展していく上で、匿名性は徐々に排除されていく事だろう。社会において、大人が自らの行動や発言に相応の責任を負いながら生きているのだから、もはや公共の場ともいえるインターネットだけが例外だなんて、これから先はあり得ない。

1人1人に個人番号が割り振られ、その番号がインターネット上の活動番号と紐づき、全ての行動や発言がトレースされて、その人の信頼度などが図られる社会が近いうちにくる。

銀行からお金を借りる時に個人の属性を見られるように、インターネットで発言する際、特定の掲示板に入ろうとすると、「あなたのレーティングではこの掲示板には入れません」なんて時代が10年もしないうちに来るだろう。

以上


この記事を書いた人
りーぶら
りーぶら30代、都内在住、男性。

大企業に勤務するサラリーマンで、M&Aを手がけたり、世界を飛び回ったりしている。ぬるま湯に浸かって、飼い慣らされているサラリーマンが大嫌い。会社と契約関係にあるプロとしての自覚を持ち、日々ハイパフォーマンスの極みを目指している。歴史を学ぶことは未来を知ること、を掲げてしばしば世界を旅している。最近は独立して生きる力を身に付けるべく、資産運用に精を出している。好きな言葉 「人生の本舞台は常に将来に在り」

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