バンコクからカンチャナブリへ

9月19日、朝7時、映画戦場に架ける橋で有名なカンチャナブリの街にツアー客の一人として出発。

バスは6人乗っていて、第二次大戦に関わるものを見に行くのに、俺以外、皆韓国人という非常に危険な状況のバスに放りこまれた。これはめんどうなことになってはまずいと、とりあえず現地到着まで爆睡。

カンチャナブリにて

到着し、橋の建造中にその命を落とした6000余名の墓を見た後、橋へ。橋に着くと、上空から急降下の音がした。ゼロ戦だ。軍事マニアか何かの遊びだろう。

この橋はいわゆる泰麺鉄道(タイとミャンマーを結ぶ鉄道)の一部であり、英国が支配するインドを攻撃し、なおかつ物資輸送のため、建設が進められた。戦局が悪化するにつれ、日本軍は物資を速やかに輸送する必要に迫られ、鉄道の完成を急がせた。それが数多くの犠牲者を生むこととなり、死の鉄道と言われるようになった所以である。

泰麺鉄道に乗るため、駅まで移動する道中、イスラエル人が二人車に乗ってきた。これまたきわどい人種の参戦である。隣に座ったが、話は何もしなかった。多くの断崖絶壁を通る鉄道に乗った後、バスに乗っていたメンバー全員同じテーブルで食事。ここで、皆が話し始めた。最初は国籍の紹介から、年齢など・・・。

イスラエル人二人はハネムーンで来ているということだった。韓国人は、35歳と、32歳のカップルが一組、男が一人、二人連れの女が居た。この女二人がくせ者だった。俺が何を話しかけても、警戒しているし、英語はろくに喋れないのに、聞き取れなくて、俺が聞きなおすと露骨に嫌な顔をする。極めつけは、ブスで年齢不詳なことだった。

おそらく20くらいだろうが、二人とも13歳か14歳に見える。反日教育で洗脳されているのか、俺にとってこの二人は極限まで嫌な感じだった。韓国人のカップルとイスラエル人と俺で話は結構盛り上がった。お互いに敬意を持ち、相手の話を聞き、文化を感じ取ろうと努力すれば、そこに多少なりとも理解と信頼が生まれるもの。なかなか楽しいひと時を過ごした。

ツアー後半は象乗り、いかだで川下り、滝を見に行くといった感じだった。まぁありがちなツアーで、独り者にはうれしくない企画盛りだくさんだった。帰りのバスで爆睡した。イスラエル人は途中下車していなくなった。到着駅で韓国人のカップルに食事に誘われた。快諾して行くことにした。

韓国人との食事会

うざい女二人組みも、男独りも、来るといった。二人のうざい女が来ることと、俺以外韓国人という状況に一抹の不安を覚えながらも、何かの縁だと思い、一時間後の待ち合わせ場所を決めて別れた。タイの友人に電話し、翌日会う約束を取り付けてるうちに一時間がたち、待ち合わせ場所へと向かった。そこには韓国人のカップルが立っていた。15分前なのに来ている彼らはなかなか出来る。信頼できる人だと思った。

時間ちょうどに独り身の男が現れた。女二人が現れないため15分待ったが、こなかった。ドタキャンをやってくれたみたいだった。やはり人は、少し話せばだいたいにおいて、わかるもんだと感じつつ、川沿いのシーフードレストランへ。色々と話をし、料理を楽しみながら、川を行く船を見ていた。聞くところによると、カップルの女のほうは、韓国のTVキャスターをやっているとのこと。32歳でやたら肌がピチピチ艶々な理由がわかった。

カップルの男は壁紙の会社で働いているらしい。独り身の男は韓国人だが、カンボジアで教会関係の仕事をしているとのこと。結構うさんくさい匂いがする男だった。話すこと二時間、腹ごなしにカオサンの街を少し歩き別れた。アドレス交換しようかと思ったが、縁があればまた会える、アドレスを聞くことが全てではない。敢えて何も聞かずに別れるのも旅の別れと思いつつ、握手だけして別れた。ちょっと寂しい気もするが、それもまた旅のうちだ。

10時対の友人に電話すると、彼女の友人が出てきた。どうやら、彼は携帯電話を持っておらず、友達の携帯電話を借りていたらしい。英語が通じにくい相手と話すこと30分、伝えるべきことを伝えて電話を切ったが、翌日、相手が何も理解していなかったことを知ることになる。

パッポンストリートにて

電話を終えて、飲み屋へ。入り口を通ると、突然10人近くの女+女男に囲まれた。どうやら、俺はその道の人に大人気らしい。一人選んだ後も数人の女男が周囲に客が多く居るにもかかわらず、こちらに痛いほど熱い視線を送ってくる。隣に座って俺と話をしていた女のところに伝令が来た。

彼女は言った。あそこに居る女男は、あなたが好きみたいよ。。。と。そいつは、三輪明宏に似ていた。そいつから隠れるべく女子の背中に回った。しばらく話して、女子の言っていることが理解できないふりをしながら、会計を済ませ、店を出ようとした。

すると、チップ払え、500バーツよ!と騒ぎ始めたので、50バーツ渡して即座に撤退した。次の店に行った処、女子がお立ち台で踊っている。

とてもその子は日本語、英語、フランス語を喋り、親はフランスとタイのハーフで、今はお立ち台に立っているらしい。

あなた、4000バーツでマッサージ上手、とっても気持ちいい、楽しいこともする、3時間、4000バーツ(12000円)。

全然その気はないのだが、会話を楽しもうとしたが、高い、高くないの話になり、金の話が嫌になったため、ケツを叩いて追い払った。

その後、店の人間とチョコチョコ話しながらビールを飲む。AM1:30ごろに店を出て、メールチェックのためネットカフェへ。そこで驚くべきニュースを見ることになった。

YAHOOニューストップに、タイでクーデターが発生。戦車出動、政府の建物が軍に制圧されたと出ていた。大事である。明日のフライトがやばいと思いつつ、みんなのんびりしていたので、まぁ何とかなるといった感じだった。

とりあえず酔っていたので、ホテルに帰り、タイマーをかけずに眠る。1週間散々歩いて、睡眠時間が3~5時間と言う状況だったので、眠るのも一つの楽しみだった。。。

下の写真は、カンチャナブリの橋。


この記事を書いた人
りーぶら
りーぶら30代、都内在住、男性。

大企業に勤務するサラリーマンで、M&Aを手がけたり、世界を飛び回ったりしている。ぬるま湯に浸かって、飼い慣らされているサラリーマンが大嫌い。会社と契約関係にあるプロとしての自覚を持ち、日々ハイパフォーマンスの極みを目指している。歴史を学ぶことは未来を知ること、を掲げてしばしば世界を旅している。最近は独立して生きる力を身に付けるべく、資産運用に精を出している。好きな言葉 「人生の本舞台は常に将来に在り」

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